5年ほど前からリュート、ギター共に少しずつやってきています。
50歳を過ぎたあたりから、演奏技術の衰えを意識し始めました。
留学中にリュートに転向してからはギターを弾いたり、手にする事さえほとんどありませんでした。
帰国してリュートの演奏活動をしながらも教室を始め、ギター、リュートの指導も始めました。
当初はリュートはまだまだ知られている時代では有りませんでしたから、生徒さんのほとんどがギターの生徒さんでした。
その頃、ギターはギタリスト時代??の知識と技術で対応できました。
しかし、帰国してから3年、5年と経ってくると、ギターには私の知らない曲や、新しい情報や「流行する新曲」の存在を上級者の生徒さんからの情報で知る事が多くなりました。
指導の責任上、ギターの世界の新しい情報や業界との交流も必要になり、多少はギターを弾く機会も増えて来ました。
しかし、その頃のリュートの世界は、ギターとの区別化が流れでしたので、ギターも弾くリュート奏者は敬遠されました。
私は、たまたま爪を使うリュート奏法を維持していましたので、それが可能だったのです
ちなみに、リュート奏者でありながら私が爪を使う理由は、バロックリュートをメインと考えていましたので、手の小さい私には親指の爪が無いとバス弦の弾弦が困難なことと、私の感性で欲しい音楽の速度を得るためには立ち上がりの速い爪の音が必要だったということです。
もしも爪の取り外しが可能なら、ルネサンスリュートでは指頭奏法でやりたいですね。(親指に爪があるとフィゲタ奏法の効果が出にくい)
19世紀ギターに手を付けた頃から「古楽器奏者としてのギターへのアプローチ」の面白さを発見。
同時にギターの生徒さんにも専門家を目指す人が数人現われ、ギタリスト時代に得た技術と知識、その後のリュートの合間の練習ではなかなか上級者の指導が厳しくなって来ました。
やむなくレッスンのためのギター練習時間が増えました(しかもほとんどが私には難曲)。
この頃、私の楽器の練習時間が複数の楽器に分散され、まとまった練習がし難くなってきました。
その状況はリュートの演奏技術に関しては大問題でして、念願であった「オールバッハコンサート」を行っていた2年ほどの期間をピークに、後はその技術維持に努める方向になってしまいました。
勿論、音楽的な向上はそれからも進んだと思われますが・・・・・・・。
しかし5年ほど前から演奏技術の衰えが顕著に感じられるようになりました。
最初に感じたのは「曲の技術的な仕上げ」にかかる時間の増大でした。
取り組んでから3ヵ月後くらいにはプログラムに入れられた20分弱程度の組曲が半年かかるようになりました
年齢から来る集中力の衰えもあるでしょう。
速度(指の回り)に関してリュートはギター曲ほど問題になる曲は少ないので、気付き難いのですが、ギターでは現役時代何の問題も無かったスケールが当時の速度で弾くことが困難になって来ました。
指の回りというのはあるていど「運動能力」に関連するでしょうから、これはいたし方のないことかもしれません。
しかし、やはり寂しいことです。
今から新しい「無窮動」的なギター曲を練習するのも厳しいので、最近ではその維持の為に、昔弾いていたそんな曲を取り出して練習しています。
先週からはビラロボスの「練習曲第1番」やバリオスの「大聖堂の3楽章」、ジュリアーニの「ロッシニアーナ」などを引っ張り出して指を回しています
身体は昔弾いていた速度を覚えているのですが、その速度では思うように弾けません
しかし・・・・・・・確かに練習時間は減りましたねえ。
レッスンの空き時間が主な練習時間ですから、平日の2〜3時間というところかなあ〜。それもレッスンのための準備を含めてですからねえ。
定期的にコンサートを設定すれば自然に増えるのですが・・・・。
いかん、いかん!!!
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